結婚直後の女性実業家が乗り越えた乳ガン。
彼女が「生まれ変わった」と思えるまで。(1/2)


  • 当初、主治医の方針に疑問を抱きながら不安と闘っていたJJさん。
  • セカンドオピニオンに背中を押され、乳房再建手術を受けることを決意
  • ガンになったからこそ出会えた、仲間との縁に感謝!

30歳のときタイで会社をおこし、女性起業家として仕事に打ち込んできたJJさん。ガンとわかったのは、12年間にわたるタイでの生活を終えて帰国後まもなく。遠距離恋愛中だった彼との結婚生活が始まったばかりの頃だったそう。知り合いもいない東京での病院探しから、主治医の治療方針への不安、そして転院、乳房再建モーダルを開くへと、持ち前の明るさで乗り越え、バストを手に入れたJJさん。つらい状況のなかでもくじけずに解決の糸口を探す前向きな姿勢は、勇気を与えてくれるはず。

JJさん 50歳 主婦
乳ガン(ステージ3A 浸潤ガン リンパ節に移転あり)
乳ガン、乳房同時再建手術

違和感を感じながらも、忙しさのなかで後回しに…。

「ちょっとおかしいなっていうのはあったんです。でも、しこりもなく、ただ乳頭が傾いて内側からつれる感じがしただけでしたので、気にも止めていませんでした」。

帰国後さっそく病院探しを始めるも、相談する知り合いもなく、どこにどんな病院があるのかも、地元大阪なら見当がつくことが東京では皆目わからない。

「そこでまず頼ったのがネット。あらゆるサイトを検索して近所の病院を探し当てました。さっそく訪ねると、エコーを見た先生がポソッと…『顔つきが悪いね』って。腫瘍の種類を、先生達は“顔つき”って表現されるんですね。後はもう流れるままに大学病院を紹介され、2日後の朝には検査開始。昼前には診断がくだされました。『ああ、あなた、ガンでしたよ』って、あまりに淡々と言われたので、自分の身に何が起きたのかも理解できなかったくらい。でも、今思えば、それだけ多くの方が、乳ガンになっているということなんですよね」。

「まさか自分が…でも家族には心配をかけたくないし。」

「治療が始まっても、それでもまだ自分は違うかもって思っていました。親族にガンの人はいませんし、まさか自分が…って。同時に、離れて暮らす高齢の両親には心配掛けたくないとも思いました。ガンって闘っている本人以上に周囲の人も辛いんです。夫はもともと気持ちを口に出すタイプではないのですが、抗がん剤の副作用で鬱になったときも、とにかくそっとそばにいてくれましたね。本当にありがたかった」。

主治医の治療方針に疑問を抱き、自力でガンの知識を蓄える。

「担当医はとてもいい先生で、時間をつくっては私の質問に答えてくださいました。ただ、その治療方針は、全摘後抗がん剤を使わずに放射線と新しいお薬で治していくものでした。抗がん剤を使わないので、ある意味楽な治療ではあったんですが、本当にそれでいいのかなって…。自分の場合、抗がん剤治療をしないという選択肢はないのではないかと思ったんです」。

そこで、まずは乳ガンに詳しくならなくてはと、ネットや本をつかって自力で調べ勉強する日々が続いた。

セカンドオピニオンに背中を押され転院を決意。

主治医の治療方針と自分自身の考えの相違に迷うなか、夫の会社の産業医がセカンドオピニオンモーダルを開くをとることを薦めてくれた。

「3つの病院でセカンドオピニオンモーダルを開くをもらい、さらにネットで見つけた乳ガン相談室でもガンの専門医のアドバイスをいただきました。それぞれの貴重な意見を聞く事ができたおかげで、自分の考えに間違いがないことを確信。悩んだ末、先生には申し訳なかったのですが、別の病院に移りました。最終的には先生も私の意思を受け入れてくださって」。

結婚直後の女性実業家が乗り越えた乳ガン。
彼女が「生まれ変わった」と思えるまで。(2/2)


胸を失うと同時に再生が始まる、
同時再建でツライ思いを避けられた。

「腫瘍の大きさからして、もはや温存という選択肢はありませんでしたが、乳房再建モーダルを開くのタイミングについてはまたもや意見が分かれました。ほとんどの病院は、『もし再建するなら、一度全摘して、その後よく考えてからに』と。でも、数年後にそういう気持ちになるかもわからないし、お風呂に入るたびに自分の姿を目にするのもツライはず…。そんな中で1つの病院が、「あなたの年齢なら同時再建がいい」と提案してくださったんです。

胸の中のガンを全部取ってそこに風船(エキスパンダー)を入れ、半年かけてお水を足して膨らまし、皮膚を伸ばし、最終的にシリコンと入れ替える方法です。術後すぐはペチャンコですが、でも、失ったと同時に再生が始まるので、胸の風船が膨らむように希望も膨らんでいくんです。結果的に、形も質も満足のいくものになりました」。

昔入った保険は通院保障がなかった!
病気になって初めて知った保険の大切さ。

乳房再建モーダルを開くは現在、一部公的保険適応になっていますが、私が手術した頃は自費でするしかありませんでした。

個人で入っていた民間の保険は20歳の頃、何の気なしに加入したもの。『ガン?多分ならへんと思うけど』くらいの気持ちでした(笑)。それでも、ガンの宣告と同時に給付金がおりましたから、大きな安心材料になりました。ただ、お伝えしたいのは、保険は見直しが大切!ということ。20年前は入院が主体でしたが、今やガンは通院治療が主流です。温存療法だったりすると放射線治療に25日間程度通院しなければならない場合もあるので、乳ガン治療は長期戦で通院保障を付けていたらずいぶん楽だったろうなあと。実は、私も結婚を機に保険会社から見直しを勧められたのですが、その時点で、すでに乳ガンと診断されていたのでもう新しい保険には入れなかったです」。

ガンになったからこそ出会えた、仲間との縁に感謝!

「今は、週一回のゴスペルと天然酵母のパン作り、そして再発予防のジョギングを楽しみながら、二匹の犬に囲まれてのんびり暮らしています。“認定NPO法人乳房健康研究会”主宰のピンクリボンアドバイザー一期生としての認定も受けました。

もしガンにならなかったら、今でも変わらずバリバリ仕事をしていたと思うんです。こうして、豊かな時間を過ごさせてもらっているのもガンを経験したからこそ。特にゴスペルは、乳ガン体験者だけのグループでリハビリとして始めたのですが、声にできないいろんな気持ちをゴスペルにのせて歌うのは、本当に気持ちいいんです。知り合いに乳ガン患者がいると聞けば、『何か困ってることない?何か不安なことない?』って、もうおせっかいなくらい。『ココが痛い~、数値が悪かったー!』と、そんな話ができるのも、同じ経験をした仲間ならでは。仲間とのきずなはこれからも大切にしていきたいです」。

「なぜ私が?」から「家族でなく私でよかった」へ。

「乳ガンの治療が終了するのは術後10年と言いますから、あと3年でようやく一段落。ガンになって、「なぜ私が?」と思った気持ちは今でも変わりませんし、答えはいまだに見つかりません。それでも「私でよかった」と強く思うんです。主人でなくて、両親や義理の両親、兄でなくて良かったって。それに、一生のうち2人に1人がガンになる時代*というなら、もう主人はガンにはならないはずですよね(笑)。

今はすべてのことがありがたくて。緑がサワサワと揺れるのを見るだけで『ありがとう!』って思っちゃう。生まれ変わった気分です!」。

* 年齢により異なりますので、詳細につきまして、公益財団法人 がん研究振興財団「がんの統計’17」年齢階級別罹患リスク(2013年罹患・死亡データに基づく)をご確認ください。


当初、主治医の方針に疑問を抱きながら不安と闘っていたJJさん。結果的に、いくつかの病院を訪ねて得たセカンドオピニオンモーダルを開くに背中を押され、乳房再建モーダルを開く手術を受けることを決意。また自費でしたが、クオリティの高いシリコン・インプラントを用いた再建手術を選ぶことでバストを手に入れました。

それにしても、相談できる専門家もいないなか、病を抱えて治療方法を探るのは大変なことだったのでは?とうかがうと、「勉強することで気が紛れたんですよ!」と。そして、そばで支えてくれた旦那さんへの感謝を何度も口にするJJさんは、乳ガンという病気を経験して、さらに明るく輝いているように思えました。

2018年7月現在の情報をもとに作成。

ガンを経験された個人の方のお話をもとに構成しており、治療等の条件はすべての方に当てはまるわけではありません。

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